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パパが、一生懸命働いて、仕事で業績をあげて出世するのはすばらしいこと。
給料が増えれば、家族経済は豊かになるし、子どもの教育にもお金をかけられるようになる。
また、社会的地位があがれば、それだけ他人の尊敬を集められるようになるとも思う。 でも、それだけがパパの役割だろうか? それだけが「パパ道」を究める唯一の方法なのだろうか? いや、違う。むしろ、「子育てこそ、仕事以上に自分自身を磨くにふさわしい機会である」と、私は思う。 たとえば、私などわがままで怒りっぽく、人が傷つくようなこともよくしてしまうのだが、 そういうことは仕事をしているだけではよく見えてこない。なぜなら、仕事ではチームワークが要求されたり、 人間関係だって複雑だから、どうしても、皆が自分に仮面をつけてまわりに合わせようとする。 でも、子育てでは、仮面などつけてはいられない。子どもと真剣に相対して、自分をさらけ出した上で、 妻や子の反応をみて、はじめて自分のよい点、悪い点がほんとうに見えてくる。 そこで悪い点を直していくことで、自然に自分を向上させることができる。 「父親」としてふさわしい人間に、少しずつでも近づいていくことができる。そう考えるのだ。 最近、いろいろな事件を通して、子育てへの父親の関わり方が、あちこちで問題になっていると聞く。 父親は全く子どもの面倒をみない、子どもとの会話がない、などという話を聞くと、またか、と思うと同時に、 こうなってはいけない、という思いが湧く。共働きだから、とか、離婚したから、とか、そんなところに責任を 転嫁する論議も聞くが、共働きである前に、離婚する前に、父親の育児参加はどうだったのか、そのことを もっと問題視すべきように思う。 父親が子どもの前で自分をどう見せたのか、子どもに金銭的にではない、純粋に奉仕的な愛情をどう注いだのか。 実際のところがわかりにくく、取り上げにくい側面もあるだろうが、もっともっとそのことが注目されてよいと思う。 私、レッシーぱぱは子どもが大好き。自分の子も、他人の子もわけへだてなく好き。そんな背景があったからこそ、 喜んで子育てに加わり、りっぱにまではいかなくとも、少しは手助けできているのではないか、と思う。 そして、その代償として、妻としてはまだまだ不満だらけだろうが、ほんの少し自己を向上させることができたと思う。 でも、子どもが大好きでなくても、ひとつだけ言えることがある。 子どもと真剣に接して、子どもがパパの存在を認めるようになると、子どもから積極的なメッセージがかえってくる。 たとえば、「パパ大好き!」という言葉とか、「パパに何かしてあげる」といった気遣いとか。 それは、仕事で認められることよりも、ずっと嬉しい。仕事でたまったストレスなど、一瞬に吹き飛ばしてしまう。 なぜなら、それは素のままの自分が、本当に認められている証だから。子育ては、そんな魅力を持っているものなのだ。 こどものいる、あるいはこれから子どもが産まれてくる、いわゆる「パパ」・「プレパパ」の皆さん、ぜひこのことを 気に留めておいて欲しい、と願う。 |
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